たたみかけるように訪れる試練。それでも「できる方法」だけを考えて走り続けた紆余曲折経営
今回は「株式会社Myu」社長の是永英和さんに独立に至るきっかけと、独立後に遭遇した度重なる試練についてインタビューさせていただきました!アルバイト時代から変わらない哲学で走り続ける姿に勇気をもらえるナナコロスートーリーをご覧ください! ー編集者:たそ
ひょんな事から独立へ
まずは、現在のお仕事や活動について教えてください。
新車中古車販売を行う株式会社Myuを経営しています。
販売以外にも板金塗装、整備、レンタカーやレッカーなど車に関する事業全般と「フラット7」という自社ローン、「ウルトラ車検」という格安車検サービスも展開しています。
以前から車関係の事業で独立する計画があったのでしょうか?
いえ、実はもともとは独立する気はなかったんです。
独立前は車の販売会社で営業を7年やっていましたが、その時は営業で一番になってやるという気持ちだけで、独立を考えることもなく33歳の時までそこで働いていました。
そうなんですね。そこからどのようにして独立に至ったのでしょうか?
昔の知り合いから電話がきて、車検を頼まれたのがきっかけです。
断るのも悪いと思い、義理の兄がやっている整備工場に頼むことにしたんです。当時、奥さんと車検明けの車を洗いながら「これ、新しい仕事になるんじゃない?」と、車のルーフ越しに話し合ったのを今でも覚えています。
その後、友達や知り合いの車の整備などを手伝うことが増えてきたため、義理の兄の会社にスペースを間借りさせてもらい、机ひとつパソコンひとつで事業をスタートしました。それが株式会社Myuの設立日2006年11月1日のことです。
つまずき、試行錯誤を繰り返した独立初期
独立後の滑り出しは順調だったのでしょうか?
いえ、資金繰りが問題でした。
当時はクレジットカードのキャッシングを使って資金を調達していて、当たり前なのですがそれを繰り返すとどんどん信用がなくなっていくんですよ。それで借り入れができなくなった時は大変でしたね。
そもそも独立資金を準備していたわけではなかったので、会社員を辞めた33歳当時は貯金が30万円でした。当時、借金の保証人になってあげた知り合いが突然消えてしまうという事もあり、その肩代わりなどであまりお金はなかったですね。
今のMyuの事業規模からはあまり想像ができない滑り出しですね。
僕はいろいろとつまずいていますよ(笑)
例えば、中古車の買取事業を展開した時には、「何でも買い取ります」という謳い文句でやっていたことが原因で、ゴミ同然の車ばかり引き揚げることになりましたし、中古スポーツカーの全国販売に力を入れたときには、事業が軌道に乗ってきたかとおもうと政府の経済対策の影響で中古スポーツカーが仕入れられなくなりビジネスが立ち行かなくなったり。そんな事の繰り返しでした。
トライ&エラーの連続だったんですね。
うまくいかない事だらけでしたね。はじめから車の販売だけで成功していたら、こんなにいろいろな事業はやっていないと思います。
でも、当時の失敗が今の事業につながっているとは思います。ゴミ同然の車をひたすら引き揚げた経験がレッカー事業につながりましたし、中古スポーツカーの全国販売をやっていたからこそネット販売に強くなることができました。
借金の保証人になった知り合いに逃げられた件も、その人のためを思ってした行動という意味では後悔していないですね。人が良過ぎたなとは思いますが(笑)
厄年の2014年、試練につぐ試練がふりかかる
大変でしたね…それから会社が軌道に乗ったのでしょうか?
いえ、実はそういったトラブルはまだ序の口だったんです。
というのも、本当の試練はそういった出来事があった後の、2014年に訪れたんです。
当時オフィスの土地を借りていた会社と、うちの会社を統合する話が出たんです。そのほうが従業員を守れると判断し、その方向で話が進んでいたのですが….
何か問題があったんですか?
はい。
直前になって、自分以外のMyuの従業員は受け入れられないと言われてしまったんです。そこで「約束が違う」ということで揉めに揉めてしまって。
結局、統合の話はなくなり、借りていた土地にも居られないほどの大喧嘩になってしまいました。
急に行くところがなくなってしまったわけですね。
それでも家族も従業員もいるし、どうにかするしかないという気持ちでした。統合の話がなくなったその夜に夜通しで候補地を探し、翌朝には不動産屋さんに契約しに行きました。
そして新たな場所で心機一転!というその矢先、今度は大きな台風が静岡を襲ったんです。
当時、鳥坂という場所にも展示場を構えて中古車の在庫を並べていたのですが、それが全て水没し、在庫価値としては1/10以下になってしまいました。事務所も車も泥だらけで、本当に四六時中掃除していました。泣きたくなる状況とはまさにあのことでしたね..。
これでもかというくらい試練が訪れますね…
仕事でも大変な時期だったのですが、実はその頃、奥さんが重い病気を患っていたため自宅療養で支えている時期でもありました。それでも病状が回復せずに、その翌年に亡くしてしまったんです。ちょうど子どもたちの学校イベント等が重ったことの負担もあって、精神的にもかなりしんどかったです。
今は子供達と一緒にその状況も乗り越え、また笑いあえるようになりましたが、その当時はかなりつらい状況でしたね..。
協力してくれる人がいるから乗り越えられた
壮絶な1年間だったんですね…。挫けそうになりませんでしたか?
もちろん挫けそうになりました。でも周りの人たちが支えてくれたおかげでなんとか踏ん張れたんです。
本当に大変だった時期に、以前からお世話になっているキャンピングカー会社の社長さんから連絡があったんです。
その方も過去に水害を経験したことがあったそうで、いろいろと相談にのってもらっていたのですが、打ちひしがれている僕に向かって「神様はこれから何かを成し遂げようとする人間には試練を与える」と言ってくれたんです。その言葉に助けられて、また歯を食いしばって「やってやる!」と思えるようになりました。
大変なときに相談できる人がいるというのは大きいですね。
はい。他にも、大変だった時期にSNSに上がった僕の写真を見て、顔色が悪いのに気づいて連絡をくれた方もいました。
その方もビジネスでお世話になっていた方なんですが、こちらからお願いしていないにもかかわらず助けてくださることがあるんですよね。そういった周りの助けもあって、今はなんとか持ち直して事業も軌道に乗っています。
まずは自分がGiveする気持ちが大事
そうはいっても協力してくれる人を見つけるのはなかなか難しいですよね。
そうですね。なかなか見つかるものではないと思います。だからこそまずは自分が相手に対してGiveすることが大事というのが僕の考えです。
自分が相手に対して何ができるのかを考えて実行し続けること。時間はかかりますが、その人脈や経験が必ず後々の自分を助けてくれると思っています。
なるほど。まずは自分から何かを与えることが大切というわけですね
はい。返ってくるまでGiveし続けたらいいと思います。
僕は今ベルテックス静岡というバスケットボールチームへの移動車の提供とその運転手を引き受けているのですが、それも何か自分にできることはないかと思って始めたことです。
仕事に限らず、ずっとそんなスタンスでやっています。
「できない理由」よりも「できる方法」を考える
でも自分にはGiveできるものがないと感じている人も多いと思います。そんな人にエールをお願いします。
もちろん自分がもっているものしか渡せないので、Giveするためには自分が成長していかなければなりません。
そのためには「できない理由」を探すのではなく、常に「できる方法」だけを考えるんです。そうすると自分ができることがどんどん増えていくんですよ。
僕はアルバイトの頃から、どの仕事に対してもこの姿勢で臨んできました。この考え方があったからこそどんな環境でも成長してこれましたし、困難な状況でも踏ん張れたと思います。これはずっと変わらない僕なりの仕事に対する姿勢ですね。
幸いにも今の僕にはチャレンジに協力してくれる人たちがいます。そのように協力してくれる人を増やすにはまず相手にGiveすること、Giveするためには自分が成長するしかない。
今まだ芽が出ていないことも、「できる方法」だけを考えて諦めずにアクションし続けてみてください。
試練を乗り越えてきた是永さんが見つけた貴重な経験則ですね。本日は勇気をもらえるお話をお聞かせいただきありがとうございました!
株式会社Myu
https://www.myu-s.net/
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