居場所が見つからず不登校に…。絶望からすくい上げてくれた多様な価値観

今回は常葉大学4年生の一岡柊希さんにインタビューしてきました!一時期は学校に通うこともできなくなってしまった一岡さんが、静岡の大学に進学して大学内外で活躍するに至ったエピソードをぜひご覧ください! ー編集者:わか

大学生ながらNPO法人の活動をはじめ幅広いプロジェクトに参画

まずは一岡さんの活動について教えて下さい。

いま常葉大学の4年生で、NPO法人ESUNEの活動やコラボレーションスペースTaktの運営に携わっています。

これまでは学内でいわゆる生徒会のような組織である「学友会」の一員として活動したり、短期間のボランティア活動等にも参加してきました。わりと幅広くなんでもやってますね(笑)


NPO法人等の活動には、どんな経緯で参加されるようになったんですか?

大学3年生の就職活動の時期になり、なんとなく将来を考え始めたところからですね。

ぼんやりとNPO法人に興味があって調べていたところ、外国人実習生をはじめとした居場所がなくて困っている方を支援しているNPO法人ESUNEの存在を知りました。

自分は大学に入る前から、”子どもたちの居場所づくり”に携われるような活動をしたいという思いがあり、「やさしく、あたらしく、あなたらしくなれる社会へ」という理念をもって活動しているESUNEに共感して、活動に参加し始めました。

世の中に居場所がないと感じた10代のはじまり

活動的ですね。どうしてそんなに行動することができたのでしょうか?

実は中学時代に不登校になってしまった時期があって、その原体験が今の活動に繋がっていると思います。

当時の友だちとの関係でトラブルがあったわけではなく、むしろ友人関係には恵まれたほうだと思っています。それでも、小学校高学年の頃から「この世の中には自分の居場所がない」と考え込む時期がありました。


なんと。何か理由があったんですか?

当時の担任が、自分から見て理不尽としか思えないような先生だったんです。

いわゆる体罰だったり男女差別のようなものが極端だったりで、学校生活に負担を感じるようになっていました。

そのくらいの年齢って、親や先生の発言力ってかなり大きいじゃないですか。当時は先生に言われることは絶対だと思っていたから、どうしたら良いかわからなくて。

その頃から、「この世界で生きるのはしんどい」とか「学校って何のためにあるんだろう」と考えるようになっていきました。


なるほど…。自分の力では解決しづらい問題ですね。

そうですね。親は「中学校に行けば変わる、今だけだから大丈夫だよ」とずっと支えてくれていたんですが、いざ中学校に進学したら更に状況が悪くなってしまって…。

中学に入って仲のいい友だちと離れてしまったり、学校の先生はさらに厳しい人になってしまったりと、状況が悪くなるにつれて「どうして自分の人生はこうなんだろう…」と重たい気持ちを抱くようになっていきました。

状況が好転するイメージが持てなくなっていった。

インターネットで出会った新しい価値観が転機に

辛い時期ですね…。そこからどのように抜け出したんですか?

中学2年生になってからスマホを持ち始めたんです。
スマホを通してインターネットの世界と繋がったことが、自分にとって大きな転機になりましたね。


インターネットがきっかけに?

はい。いわゆる普通の学校生活では出会えないような人たちとの交流が始まったんです。

多様な価値観を持つたくさんの人と繋がりだして、急に自分の世界が広がっていく感覚や、ずっと感じられなかった居心地の良さを実感しました。

それまでは、学校を休んでしまうことに後ろめたさを感じていましたが、インターネットの世界には自分の話を聞いてくれる大人もたくさん居て、当時の状況や自分の存在そのものを受け止めてくれる感覚があったんです。

その頃から「無理して学校に行かなくてもいいのかな」と思うようになっていきましたね。


なるほど、学校以外に繋がりを感じられる場所を見つけたわけですね。

はい。中学2年生の後半頃からは、週1ペースで学校を休むようになっていました。学校に行くふりをして休んだこともありましたね、学校からの電話でバレちゃいましたけど(笑)

学校生活の中では、誰もが一律の価値観でいつも同じような話題で盛り上がっていましたが、ネット上でのコミュニティはとにかく多様性に溢れているというか。

自分と同じように学校に通っていない人もいたり、無理して学校に行かなくていいと言ってくれる人もいたり、どこか余裕がある多様性豊かな考えに触れることで、一気に価値観が広がったのを覚えています。

「金魚鉢の中にいたのが、海ってものを知ったような感覚になりました」


これまでの閉塞感を思うと、大きな変化ですね。

そうですね。なによりも大きかったのは、それをきっかけに自己肯定感がすごく高まったことだと思います。

もともと自分は、勉強などで友だちと競う感じが嫌だったんです。自分は自分らしくいたいというか…。インターネットの中では、そういう競争とは距離をおいて「自分なりに生きていい」という気持ちで過ごしていました。

そういった背景もあって、中学3年生の4月頃からはほぼ1年間学校に行かなくなりましたね。

それでも追ってくる不安と怖さ

それからは充実した生活を送れたんでしょうか?

いえ、実はそうでもなくて…。

というのも、オンラインで人と繋がっているときはよかったんですが、パソコンをシャットダウンすると、一気に何もない自分に戻る感じがあるんです。

現実に戻って「もう一生このままなのかな…」と虚無感や不安に襲われるのが辛かったですね。


なるほど…。周りからは心配されなかったですか?

本格的に家にこもるようになってから、家族が心配してくれたり、先生や友だちが訪ねてくれることもありました。

でもその時の自分は、「どうして今なの?」と思っていました。

本当に学校に行けなくなった今になってやっと声をかけられたことに違和感を感じたし、まだ学校に通えていた頃にもっと耳を傾けてほしかったし、対話したかったんですよね。

現実では支えだと思えるような人や居場所がなかった

”次の自分”への再挑戦

そうだったんですね。どんなキッカケがあってそこから抜け出せたんですか?

大きなキッカケは、高校受験でしたね。

親から「高校受験だけでもしてみたら」と勧められて。ひょんなことではあったんですが、「ここだ!これはチャンスだ!」と強く思ったんです。

ネットで過ごす時間の中で得られたものはたくさんありましたが、やっぱり外に出たいという気持ちもありました。

人間関係も、制服も、通学路も、全てが変わることを想像してみたら、行ける気になったんですよね。「中学校をリセットしたい」という気持ちも強かったんだと思います。

変化の機会が訪れていることを実感できたんですね。

そうですね。幸い入りたい高校に合格することもできて、いわゆる普通の高校生活に戻りました。

それまでのこともあって、とにかく毎日を充実させたいと思ったし、部活にも友人関係にも一生懸命でしたね。短い期間ではありますが、海外留学にも行くことができて、一気に楽しくて充実した学校生活になりました。

今、わりと活動的に動けているモチベーションも、一日一日を充実させたいという気持ちからきている部分はあると思います。

地元関西を離れ、静岡の大学を選んだのはどんな理由だったんですか?

実は、インターネット上で一番仲良くなった方が静岡に住んでいたからなんです。

その方は自分と似た境遇だったこともあり、当時は本当に支えになってもらいました。たくさん影響をうけましたし、大げさかもしれませんが、自分にとっては命の恩人のような方なんです。

静岡に来て、すぐに会いに行きましたね(笑)

地元を離れ、恩人がいる静岡へ

静岡に来てからも素敵な縁にたくさん恵まれました。
幸いなことに、将来の方向性が見えるようなキッカケにも巡り合うことができました。

”ありたい姿”に出会う大学生活

将来の方向性ですか?

そうですね。NPO法人の活動などをしていく中で、地域の子どもたち向けに「寺子屋」を運営をされている、とあるお寺の和尚さんに出会ったんです。

寺子屋イベントでは、和尚さんが「人の心」や「その在り方」等、様々なテーマでお話をしてくれたり、みんなで勉強したり、お菓子を食べながら自由にお話したりと、子どもたちが活き活きと過ごせる居場所が作られていました。

話を聞いて実際に参加してみたとき、「これこそが自分がやりたかったことだ!」と思えたんです。


なるほど、やりたいことが具体的にイメージできたと。

はい。もともと僕は、学校の先生になることを考えていました。これまでの経験から、生徒に対して自分の思いを伝えることで、少しでも学校生活が楽しいと思ってもらえたらと。

ただ、自分がやりたいことを深掘りする中で、学校の先生だけが実現方法ではないと気づき始めていました。
そもそも、自分がやりたいことの本質は「子どもたちの居場所をつくること」なんです。

学校の先生になることは、あくまで手段であることを理解した

寺子屋に参加してみて、かつて自分がほしかったのもこんな居場所だったと心から思えました。それから月に2,3回の寺子屋イベントは必ず行くようになりました。


まさにモデルケースのような存在だったわけですね。

そうですね。運営スタッフの方も、子どもたちと接する上で「否定をしない」とか「決めつけをしない」等、とにかく受け入れるという姿勢を一貫されているんです。

活動内容だけでなく、ありたい姿が具体的にイメージできて、寺子屋からはたくさんのことを学ぶことできましたし、将来やりたい方向性が明確になりました。

嫌なことは無理してやらなくてもいい

これまでの経験があったからこそですね。そんな一岡さんから、当時の自分やいま同じ状況にいる方へのメッセージはありますか?

すごく難しいですが、目の前にある夢中になれるものを続けるのが良いと思っています。

自分の場合、夢中になれる時間は幸せだったし、それがないときは自暴自棄になっていました。

もちろんインターネットで過ごした時間が、すべての問題において直接的な解決になったわけではないのですが、それでも夢中になれるものに出会えたからこそ、自分を肯定できる機会にも巡り会えたし、そのおかげで大きな変化のチャンスに飛び込むことができたとも思います。


最初は、好きなものや興味があるものに取り組むだけでも良いと。

そうですね。それと、当時ネットの世界に入っていったのは、自分の問題を解決しようと思って始めたことではなかったんですよね。ただ面白くて夢中になっていたら、その先に思いも寄らない解決の糸口があったというか。

だからこそ抱えきれない問題があるときには、すぐに解決しなきゃと焦る必要はないと思います。変わらなきゃと焦ってプレッシャーを感じすぎると、悪い方向に行ってしまうこともあると思うので。

まずはやりたいことをやってみる、それだけでも良いんじゃないかと思います。

「まずできることをしているだけでも状況は変わると思います」


逆に、同じ状況の人が近くにいる方へのメッセージはありますか?

身近に思い悩んでいる方がいたら、とにかく対話の機会を設けてあげてほしいです。

中学生の頃は、まだ考えていることや思いをうまく言語化できませんでした。

そんな中で、ある美術の先生が自分のことを気にかけてくれていたんです。それが泣きたくなるくらい嬉しくて。具体的な解決につながったわけではありませんが、気にかけてくれる大人がいるという事実だけですごく安心できたのを覚えています。

「このままでもいいんだよ。」と思わせてくれる存在がいるだけで、それは大きな救いになるんじゃないかと思います。

解決に至らなくても、話を聞いてくれる安心感だけで助けになる


一岡さんならではのメッセージですね。最後に、今後の意気込みをお聞かせいただけますか?

将来は、やっぱり寺子屋のような”子どもたちの居場所”を作りたいと思っています。辛い思いをすることへの予防策になるような環境というか。

引きこもりというのが、世間的にみて失敗だとしてもそれが全てではないよと伝えてあげたいです。

親や先生のような上下の関係でも、友だちのような横の関係でもない”ナナメの関係”を作ることで、行き詰まってしまった人のセーフティネットと思えるような居場所、「ここにいて良いんだよ」「生きていていいんだよ」とそう伝えられる場所を作っていきたいと思います。


辛い時期をこえてきた一岡さんならではのメッセージが伝わりました。
本日は素敵なお話をありがとうございました!

一岡さんの強さと信念が垣間見え、思わずのめり込んでしまうインタビューでした。
そんな一岡さんが携わっている活動を紹介いたします!一岡さんの活動が、みなさんの身の回りで困っている人、困っているかもしれない人まで届きますように。

NPO法人ESUNE: http://fcs-esune.blogspot.com/
コラボレーションスペースTakt: https://takt-kc.com/